1986年(昭和61年)は、バブル経済の幕開けとも言われる時代。世相を反映する流行語は、その時代を鮮やかに切り取ります。今回は、1986年を彩った流行語の中から、特に話題となった10個をピックアップし、当時の社会現象や文化とともに振り返ります。
究極
「究極」は、もともと物事を突き詰めるという意味を持つ言葉ですが、1986年には漫画『美味しんぼ』で使われた「究極のメニュー」という表現がきっかけで大流行しました。
グルメブームの火付け役ともなり、「究極の○○」という形で様々な分野で使用されるようになったのです。食に限らず、温泉やスポーツなど、あらゆるものに「究極」を求める風潮は、当時の人々の消費意欲や向上心を象徴していると言えるでしょう。
激辛
「激辛」は、その名の通り、非常に辛い食べ物を指す言葉です。1986年は、激辛ブームが到来し、エスニック料理やカレー、ラーメンなど、様々なジャンルで激辛メニューが登場しました。
このブームは、単なる食のトレンドを超え、人々の挑戦心や刺激を求める心理を反映していたのかもしれません。また、ストレス社会の中で、辛いものを食べて発散するという側面もあったかもしれません。
新人類
「新人類」は、従来の価値観にとらわれない新しい世代を指す言葉です。特に、プロ野球界で活躍した若手選手たち、例えば西武ライオンズの清原和博、工藤公康、渡辺久信などが「新人類」と呼ばれ、注目を集めました。
彼らの自由奔放なプレースタイルや言動は、従来のプロ野球選手のイメージを覆し、若者を中心に大きな支持を集めました。この言葉は、既存の枠にとらわれない新しい価値観の登場を象徴していたと言えるでしょう。
知的水準
「知的水準」は、ロイター通信社支局長のマイケル・サラモンが、日本の社会や文化について論評する際に使用した言葉です。この言葉は、当時の日本人の知的好奇心や国際感覚の高まりを反映していると言えるかもしれません。
海外の情報や文化への関心の高まりは、グローバル化が進む現代社会の先駆けとも言える現象でしょう。
「亭主元気で留守がいい」
これは、大日本除虫菊(KINCHO)のコマーシャルで使用されたキャッチコピーです。夫が元気で留守にしている方が、妻は自分の時間を自由に使えるという意味合いで、当時の主婦層を中心に共感を呼びました。
このキャッチコピーは、家庭における夫婦の役割分担や、女性の社会進出など、当時の社会状況を反映していると言えるでしょう。
おニャン子クラブ
おニャン子クラブは、フジテレビの番組『夕やけニャンニャン』から生まれた女性アイドルグループです。彼女たちの親しみやすいキャラクターや、身近な存在感は、従来のアイドル像とは異なり、若者を中心に爆発的な人気を集めました。
おニャン子クラブの成功は、アイドル文化の多様化や、メディアとアイドルの関係性の変化を示す出来事と言えるでしょう。
プッツン
「プッツン」は、何かが切れる音を表す擬音語で、我慢の限界を超えて感情が爆発する様子を表す言葉として使われました。タレントの片岡鶴太郎がテレビ番組で使用したことで広まりました。
ストレス社会の中で、感情を抑えきれずに爆発してしまう心理状態は、現代社会にも通じる部分があるかもしれません。
「やるしかない」
「やるしかない」は、日本社会党(現・社会民主党)委員長だった土井たか子が、国会答弁などで頻繁に使用した言葉です。この言葉は、困難な状況に立ち向かう決意や覚悟を表しており、多くの人々に共感を与えました。
政治の世界だけでなく、様々な場面で使われるようになり、人々の心を鼓舞する言葉として定着しました。
150円台
「150円台」は、当時のドル円相場を指す言葉です。バブル経済の初期にあたるこの時期、円高ドル安が進み、ドル円相場が150円台を記録しました。
この言葉は、経済状況の変化を象徴する言葉として、広く知られるようになりました。
バクハツだ!/なんだかわからない
芸術家の岡本太郎は、その独特な言動や作品で多くの人々を魅了しました。「バクハツだ!」は、岡本太郎の代名詞とも言える言葉で、情熱やエネルギーの発露を表しています。また、「なんだかわからない」は、彼の作品に対する感想としてよく使われました。
これらの言葉は、岡本太郎の個性的な芸術観や、既存の価値観にとらわれない自由な精神を象徴していると言えるでしょう。
まとめ
1986年の流行語を振り返ると、グルメブーム、若者の新しい価値観、社会の変化など、当時の社会状況が色濃く反映されていることが分かります。言葉は時代を映す鏡です。流行語を通して過去を振り返ることで、当時の人々の意識や文化、社会の動きをより深く理解することができるのではないでしょうか。これらの言葉は、単なる一時的な流行ではなく、時代を象徴するキーワードとして、私たちの記憶に刻まれているのです。