物語の始まりと終わり
『火垂るの墓』は、野坂昭如の小説を原作とするアニメーション映画です。物語は、1945年9月21日の三ノ宮駅構内、主人公・清太の死から始まります。冒頭で清太が衰弱死している姿が描かれることで、観る者は物語の結末を知らされます。この構成は、観る者に強い印象を与え、その後の展開をより深く心に刻む効果をもたらします。
清太の持ち物は錆び付いたドロップ缶。その中には、妹・節子の小さな骨片が納められていました。駅員が缶を投げ捨てると、中から骨がこぼれ落ち、蛍が飛び交う。この冒頭のシーンは、物語全体を象徴する重要な場面と言えるでしょう。
物語は、清太の死から過去へと遡り、神戸大空襲の様子が描かれます。空襲で家と母を失った清太と節子は、西宮の親戚の家に身を寄せることになります。しかし、叔母との生活は次第にうまくいかなくなり、二人は防空壕での生活を始めるのです。
空襲と兄妹の逃避行
神戸大空襲の描写は、本作の大きな見どころの一つです。高畑勲監督は、自身も岡山大空襲を経験しており、その記憶を元に、徹底的な時代考証を行い、当時の様子をリアルに再現しています。焼夷弾が降り注ぎ、街が炎に包まれる様子は、観る者に戦争の恐ろしさを強烈に伝えます。
空襲で母親を亡くした清太と節子は、親戚の家に身を寄せますが、そこでの生活は決して楽なものではありませんでした。食糧難の中、叔母との間に溝が生まれ、居場所を失った二人は、防空壕での生活を選びます。この選択は、清太なりに妹を守ろうとした結果でしたが、厳しい現実が二人を待ち受けていました。
防空壕での生活は、配給も途絶え、食料も十分に得られない過酷なものでした。清太は、妹のために畑から野菜を盗んだり、空襲で無人になった家から物を持ち出したりします。しかし、節子の体は徐々に衰弱していき、ついには命を落としてしまうのです。
節子の死と清太の孤独
節子の死は、物語のクライマックスであり、観る者の心を深く揺さぶります。衰弱していく妹を懸命に看病する清太の姿は、痛々しく、観る者の胸を締め付けます。節子がドロップを舐めたがっていたというエピソードは、多くの人の記憶に残っているのではないでしょうか。
節子の火葬後、清太は妹の遺骨をドロップ缶に納め、防空壕を後にします。その後、清太も栄養失調で命を落とすことになります。冒頭のシーンへと繋がり、物語は終わりを迎えます。
この作品は、単なる悲劇として描かれているのではありません。高畑監督は、戦争の悲惨さを描くと同時に、兄妹の絆や、懸命に生きようとする姿を描いています。また、周囲の大人たちの描写も、単なる悪役としてではなく、それぞれの立場や状況の中で生きている人間として描かれているのが特徴です。
時代背景と作品の評価
『火垂るの墓』が公開された1988年は、スタジオジブリが『となりのトトロ』と同時上映という形で、その存在感を大きく示した年でした。当時、アニメーションは子供向けのものという認識が一般的でしたが、ジブリ作品は大人も楽しめる作品として、幅広い層に受け入れられました。『火垂るの墓』は、その中でも特に重いテーマを扱い、観る者に深い感動と衝撃を与えました。
この作品は、反戦映画として語られることが多いですが、高畑監督自身は、単なる反戦メッセージを込めた作品ではないと語っています。戦争という極限状態における人間の姿を描くことで、普遍的なテーマを追求した作品と言えるでしょう。
公開当時、本作は『キネマ旬報』の日本映画ベストテンで上位にランクインするなど、批評家からも高い評価を受けました。また、海外でも多くの賞を受賞し、世界中で高く評価されています。
幽霊の視点と演出
本作の特徴的な演出の一つに、幽霊となった清太の視点があります。物語は、清太が自分の過去を回想する形で進行していきます。この構成により、観る者は、清太と共に過去を追体験し、客観的に物語を見つめることができます。
画面が赤くなる演出は、清太と節子の幽霊が登場し、過去の出来事を繰り返し見つめていることを表しています。この演出は、物語に独特の雰囲気を与え、観る者の記憶に強く残ります。
また、本作では、方言が効果的に使用されています。清太と節子の会話は、自然な関西弁で描かれており、物語のリアリティを高めています。特に、節子の可愛らしい話し方は、多くの人の心をつかみました。
今に伝えるもの
『火垂るの墓』は、戦争の悲惨さを伝えるだけでなく、人間の尊厳や、家族の絆の大切さを教えてくれる作品です。時代を超えて、多くの人々の心に響く普遍的なテーマを描いていると言えるでしょう。
この作品は、アニメーションという表現方法の可能性を大きく広げた作品の一つでもあります。高畑監督の緻密な演出と、スタジオジブリの高い作画技術が融合し、他に類を見ない傑作が生まれました。
公開から年月が経ちましたが、『火垂るの墓』は今でも多くの人々に愛され、語り継がれています。この作品が、今後も多くの人々の心に残り続けることを願ってやみません。
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