1987年(昭和62年)は、バブル景気に向かう時代の熱気と、社会の変化を反映した様々な流行語が生まれた年です。 世相を鋭く切り取った言葉たちは、当時の人々の生活や価値観、関心事を鮮やかに蘇らせてくれます。 この記事では、そんな1987年を彩った流行語の中から、特に話題となった10個の言葉を選び、その背景や意味、当時の社会に与えた影響などを解説していきます。 時代を映す鏡とも言える流行語を通して、1987年という時代を追体験してみましょう。
マルサ
「マルサ」とは、国税査察官、特に脱税事件などを担当する査察官を指す言葉です。 この言葉が広く知られるようになったきっかけは、伊丹十三監督の映画『マルサの女』の大ヒットでした。 映画では、宮本信子演じる女性査察官が、悪徳業者を摘発する姿が描かれ、勧善懲悪のストーリーは多くの人々の共感を呼びました。 当時の日本は、地価高騰や株高など、まさにバブル経済の入り口にあり、金銭に対する人々の関心が高まっていました。 そのような時代背景の中で、「マルサ」は不正を暴く正義の象徴として、流行語となりました。
懲りない○○
「懲りない○○」は、安部譲二の小説『塀の中の懲りない面々』から生まれた流行語です。 この小説は、安部自身の刑務所での経験を基に、個性豊かな受刑者たちの姿を描いたもので、ベストセラーとなりました。 「懲りない」という言葉は、本来は反省しない、同じ過ちを繰り返すという意味ですが、この場合は、どこか憎めない、愛嬌のある人物像を表すニュアンスで使われました。 「懲りない○○」という形で、様々な人物や行動を形容する言葉として広まり、当時の世相を反映した流行語となりました。
朝シャン
「朝シャン」は、朝にシャンプーをすること、または朝に行うシャンプーを意味する言葉です。 資生堂のCM「朝のシャンプー」がきっかけで、特に若い女性の間で広まりました。 それまで、夜にシャンプーをするのが一般的だった時代に、朝シャンという新しい習慣を提案したこのCMは、大きな反響を呼びました。 清潔感や爽やかさを重視するライフスタイルが広まる中で、「朝シャン」は時代の先端を行くライフスタイルとして、流行語となりました。
サラダ記念日
俵万智の歌集『サラダ記念日』は、口語体で日常を詠んだ短歌が多くの人々の共感を呼び、大ベストセラーとなりました。 「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という歌は、特に有名で、多くの人に親しまれました。 日常の何気ない出来事を特別な日に変えるという発想は、新鮮であり、多くの人に受け入れられました。 「サラダ記念日」は、日常を大切にする、新しい価値観の象徴として、流行語となりました。
なんぎやなぁ
「なんぎやなぁ」は、関西地方の方言で、「しんどいなぁ」「大変だなぁ」といった意味合いを持つ言葉です。 辛坊治郎と森たけしという、大阪の読売テレビのアナウンサーが、番組内でこの言葉を多用したことで、関西地方以外にも広まりました。 当時の社会は、バブル景気に沸いている一方で、日々の生活の中で様々なストレスを感じている人も少なくありませんでした。 「なんぎやなぁ」は、そのような人々の気持ちを代弁する言葉として、共感を呼び、流行語となりました。
ゴクミ
「ゴクミ」は、女優の後藤久美子の愛称です。 当時、アイドルとして絶大な人気を誇っていた後藤久美子は、その愛らしいルックスと、飾らないキャラクターで、多くのファンを魅了しました。 「ゴクミ」という愛称は、親しみを込めて使われ、彼女の人気を象徴する言葉として、流行語となりました。
マンガ日本経済入門
石ノ森章太郎の漫画『マンガ日本経済入門』は、難解な経済の仕組みを分かりやすく解説したことで、幅広い層から支持を集めました。 漫画という親しみやすい形式で、経済を学ぶことができるという点が、多くの人に受け入れられました。 当時の日本は、バブル景気を背景に、経済に対する関心が高まっていました。 「マンガ日本経済入門」は、そのような時代背景の中で、経済を学ぶためのツールとして、流行語となりました。
ワンフィンガー・ツーフィンガー
作家の村松友視が提唱した「ワンフィンガー・ツーフィンガー」は、指を一本または二本立てるジェスチャーで、相手とのコミュニケーションを円滑にするというものです。 このジェスチャーは、テレビ番組などで紹介され、話題となりました。 言葉だけでなく、ジェスチャーでコミュニケーションを図るという新しい発想は、多くの人に興味を持たれました。 「ワンフィンガー・ツーフィンガー」は、新しいコミュニケーションの方法として、流行語となりました。
サンキューセット
「サンキューセット」は、日本マクドナルドが販売した、390円のセットメニューのことです。 手頃な価格で食事を楽しめるという点が、多くの人に支持されました。 当時の日本は、外食産業が発展し、様々な飲食店が登場していました。 「サンキューセット」は、手軽に食事を楽しめる代表的なメニューとして、流行語となりました。
“国際”国家
中曽根康弘首相(当時)が提唱した「“国際”国家」という言葉は、日本が国際社会において、より積極的な役割を果たすべきという考えを表しています。 当時の日本は、経済大国として国際的な地位を高めていましたが、国際貢献の面では、まだ課題も多く残されていました。 「“国際”国家」は、日本が国際社会でどのような役割を果たすべきかという議論を巻き起こし、流行語となりました。
まとめ
1987年の流行語を振り返ってみると、当時の社会の様々な側面が見えてきます。 バブル景気を背景にした金銭への関心の高まり、新しいライフスタイルの登場、コミュニケーション方法の変化、国際社会における日本の役割など、様々なテーマが流行語に反映されています。 流行語は、単なる一時的な言葉の流行ではなく、その時代の人々の意識や価値観、社会の動きを映し出す鏡と言えるでしょう。 これらの言葉を振り返ることで、私たちは過去の時代を追体験し、歴史の流れを感じ取ることができるのではないでしょうか。 そして、過去を振り返ることは、未来を考える上で重要なヒントを与えてくれるに違いありません。